怖い?芥川賞受賞「むらさきのスカートの女」のあらすじと考察

芥川賞を受賞した「むらさきのスカートの女」ですが、「わからない」「怖い」という意見が多くみられます。確かに、この小説は読んでいくとわからないなぁと感じたり、理解したとたんに「怖い」と感じる描写が多くあります。それは、設定が不気味で、小説の中身も相応に不気味になっているからです。

今回は、「芥川賞史上、最も不気味で滑稽な作品」とも呼ばれている、むらさきのスカートの女を紹介していこうと思います。

怖い?芥川賞受賞「むらさきのスカートの女」のあらすじと考察

  • むらさきのスカートの女あらすじ
  • むらさきのスカートの女ネタバレ
  • むらさきのスカートの女の考察
  • むらさきのスカートの女の最後
  • 本を読んでみた感想
  • むらさきのスカートの女はどこで読める

むらさきのスカートの女あらすじ

今村夏子氏の『むらさきのスカートの女』は、近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性に強く惹かれた「わたし」が、彼女との距離を縮めようと試みる物語です。

「わたし」は、ある企みを立て、女性を自分の職場へと引き込みます。しかし、二人の関係は次第に歪み始め、物語は予想外の展開へと進んでいきます。

むらさきのスカートの女ネタバレ

この物語の核となるのは、「わたし」の「むらさきのスカートの女」に対する異常なまでの執着です。彼女は単なる近所の女性ではなく、「わたし」にとっての謎であり、ある種の偶像なのです。

「わたし」は、女性との関係を深めることで、自分自身を理解したい、あるいは何かを埋め合わせたいという願望を抱いているのかもしれません。しかし、その行動は次第にストーカー行為に近づき、読者には不気味さ、怖さを感じさせます。また、物語を通して「むらさきのスカートの女」は、常に不気味な存在です。決して理解できない、相容れることのない存在です。一人称視点で語られ、「本当にむらさきのスカートの女だったのか?」すら疑問に残る、そんな一冊になっています。

むらさきのスカートの女の考察

読んでいると最初は「わたし」と「むらさきのスカートの女」は別人であるように思えました。描写が違うし、二人とも全く違う名前をもって登場するからです。物語が進んでいくにつれ、「わたし」があまりにも彼女のことに関して、詳しすぎることに疑問を持ち始めます。すなわち、「わたしは、むらさきのスカートの女ではないのだろうか?」という、酷い問いかけです。ただ、この問いに関しては「一人称視点の小説」という点で、解決できることに気が付きます。これは、主人公である「わたし」の思いと観測がごちゃ混ぜになって描かれてているから、わかりづらいのです。

この、一人称視点というのは本来は主人公語りの主人公視点での話の進行方法を指します。ですが、この作品では時折、「第三者視点」で進行しているような錯覚を覚えます。それは、「わたし」があまりにも、「むらさきのスカートの女」について詳しすぎるからですね。この点を抑えて、第一人称で描かれた作品であると思って読むと、読みやすいです。

むらさきのスカートの女の最後

最後には、「むらさきのスカートの女」と称される女性は、物語から姿を消します。といっても、死んだのではなく、職場での問題に巻き込まれる形で居場所がなくなり、そのまま逃走したのです。会社の備品を勝手にバザーに出品したという理由で、会社を追われ、所長と口論になります。実際には、わたしが行ったことでしたが、存在感のなさと、むらさきのスカートの女の存在感、不気味さが相まって勘違いされます。そのまま物語は怒涛の展開を迎え、むらさきのスカートの女は逃亡、所長はケガ、そして「わたし」は、新しいむらさきのスカートの女として君臨することになります。

読んでみた感想

「わたし」という存在が、いったい何をしたかったのだろうか。その疑問が消えないところが、ミステリーチックで、少々ホラー的な要素をはらんでくる面白い一冊です。とはいえ、この小説が本当に不気味で怖いと感じるのは「主人公の希薄さ」です。主人公なのに、まるで教室の後ろに立っている登場人物並みに、存在感も個性もない。一方で、むらさきのスカートの女は、まるで主人公のような個性の塊でちゃんとしたキャラクターとして描かれている。探求心、探索という意味では、主人公も十分にキャラクターとして描かれているが、それが「わたし」をまるでストーカーのように仕立て上げてしまうのです。物語も、常に「わたし」が「むらさきのスカートの女」をストーキングして観察し、ある程度その行動をコントロールしていくという不思議なものでした。まるで、本格ミステリー小説のように最後の瞬間まで展開が読めず、面白い作品でした。

むらさきのスカートの女はどこで読める

この小説はメディアミックスが行われていないため、原作小説を読むしかありません。原作小説は、電子書籍としても販売されているため、各種電子書籍サイトで試し読みをすることができます。もしも、どこで読めるのだろうと迷っているのなら、自分の契約している電子書籍アプリやサイトを確認してみましょう。

ブックライブやブックウォーカー、Amazonキンドルでも、試し読みが確認されています。

むらさきのスカートの女が怖い、わからない理由

  • むらさきのスカートの女は芥川賞受賞
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  • むらさきのスカートの女が怖い
  • どんな設定の話なのか?

むらさきのスカートの女は芥川賞受賞

第161回芥川賞を受賞している作品です。また、受賞に際して審査員たち含め、数多くの書評家が絶句したことでも有名な回になりました。『むらさきのスカートの女』は書評家たちから「摩訶不思議」「不穏な世界」と評される注目作です。

むらさきのスカートの女わからない

むらさきのスカートの女を読んで、わからない、という感想を抱く人は多いです。それは、書評家たちも同じで、どうにも不気味で奇怪な、どこか納得できない物語です。それは、心が理解することを拒絶しているようで、読了後の第一声は「何を読んだんだ?」という形容し難い感覚になります。主人公である「わたし」は何をしたかったのか、「むらさきのスカートの女」とは何だったのか、最後までモヤのかかる藪を進んでいるような一冊です。

むらさきのスカートの女が怖い

怖いという感覚を抱く人も多いです。それは、「わからない」からくる場合と、「物語を通して、<わたし>という存在が、在り方が不気味である」場合があります。物語を通して、ストーカーであると勘違いしてしまうわたし。そして、ずっとよくわからない話を見て、読んで、何故か所々理解できて共感できてしまう不気味さがあります。

映画化される見込みがあるのか?

今現在、「むらさきのスカートの女」は映画化されていません。また、その予定もあると公表されていないことから、映画化されるのはだいぶ先だと思われます。原作者である今村夏子先生のデビュー作である『こちらあみ子』は、今現在映画化されています。先生の作品を、映像化で楽しみたい場合にはコチラを堪能してください。

怖い?芥川賞受賞「むらさきのスカートの女」のあらすじと考察の総括

今回紹介したのは「むらさきのスカートの女」です。この小説は、ぼく個人としても何回も読んでしまう不気味さと、面白さがあります。読了後には、何とも言えない感じが心の中に巣くい、ふとした瞬間に手を伸ばしてしまうのです。「芥川賞史上、最も不気味で滑稽な作品」の評価に違わない、面白い作品になっています。

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Posted by とあるオタク